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個々の理解の仕方を後押しする仕組みとは――。前回に引き続き、三宅なほみ先生との対話から、人の学びの仕組みを踏まえた人材開発のあり方や、企業人が今後必要な力について考えます。

企画・編集/宮原詩織、編集・写真/渡邉真紀 
*文中は、敬称を略します

頭の中で起きているプロセスは外から見えない

三宅
フィギュアスケートなどで有名選手を輩出している、中京大学という大学をご存知ですか? 私がその中京大学に勤めていた頃の研究室というのが、体育学部の隣にあったんです。それで、体育学部の先生方の話を聞いたりしたのですが、体育でも、個々の学びのプロセスに着目した指導が意識されるようになったのは最近のことのようです。

例えば、逆上がりができなかったり、5段の跳び箱を跳べなかったりすると、何となくそれで劣等感を持ってしまう子どもがいます。最近では、これを解決するために、逆上がりする様子や跳び箱を跳ぶ様子をビデオに撮って仔細に観察するそうです。すると、子どもは、「こんなことは絶対しないだろう」と思うようなことをしていたそうです。

跳び箱がうまく跳べない時、何が起きているかを調べてみると、最後にお尻が引っかかってしまう。それで、跳べるようにするために、跳び箱上の一番前の所に座ってもらって「ここからできるだけ遠くに跳び降りて」と、遠くへ跳ぶ感覚をつかんでもらうのだそうです。まずはそこから跳んでもらう。それから、「手をここにおく」、「こう力を入れる」と順にやっていくと、比較的跳べるようになる。そうやって、子どもが「これで自分は跳べると思う」と言うのを待つ、というようなこともするそうです。
人は、意識すれば「自分自身が自分の体をどう動かしているのか」を感じて、自分でコントロールできるようになることもあるのですね。「教える対象」としての学習者を指導する側が動かそうとするのではなく、学習者に学びの主権を渡して「自分で動く主体」になってもらった方が良い結果が出る、ということなのかもしれません。

体を使って学ぶ場合は、他の人がそのプロセスを外から見て、把握することができます。ですから、教える側もこれを使って「こういう風にやってもらうと、できるようになるのでは」と考えることができます。でも、頭の中で起きている学習のプロセスというのは、外から見えませんね。

例えば、割り算の筆算のような手続きを、まずここに書いてある数をこの数で割ってね、次にそこからこの数を引いてね、それからここに余りを書いて・・・といったように手順立てて教えます。10題も問題をやると、みんなが解けるようになるでしょうね。子どもがわかりやすいように手順を順序立てて教える。こういうやり方だと、子どもがその場で「できた」という感じを得られるだけでなく、教師の方も「教えたらできるようになった」と効力感を得られる。しかし、このやり方では、なぜ割り算ができるのか、子どもも教師も、わかっていない可能性があります。さらに言うと、ここで「できる」のはなぜなのか、そこがわからないままになってしまう可能性もあると思います。本当に手順だけを覚えているなら、途中のステップを1つ忘れたら全くできなくなってしまうかもしれませんし、そうではなくて、その子がそこで手順を覚えられたことにはそもそも別に理由があるのかもしれません。こういうことはこれまで誰も調べていませんから、なぜできるようになったのか、理由も経緯もわかっていないんです。こういうところをもっときちんと調べていかないといけないですね。

子どもひとりひとりのわかり方の質を上げていくには、こういう内的なプロセスを何とかして知る方法が必要だと思っています。脳研究で盛んに行われているイメージングなどの手法で脳の活動状態を探れればわかるのではないかという期待もあるかもしれないのですが、基本的には大脳の活動レベルで今わかることと、子どもが内的に自分の知っていることを操作して組み合わせて物事を理解するような認知的な活動は、一対一には対応していません。現在の脳科学でわかることを直接学習の質向上に結びつけるのは、まだ難しいと思います。

そうなると、今なんとかデータとして集めて分析の対象にできるのは、やはり学習者ひとりひとりが語ることば、なんですね。ことばに表現できなくても理解していることはたくさんあります。でも、人に説明するためにことばを選びながら少しずつ考えをことばにしていく過程を追ったり、対話の中などで何度か同じことを言い換えているうちに表現が少しずつ違ってくる様子を詳しく分析したりするところから、その人の中で何が了解されていて、何がまだ了解されていないのかを探ることはある程度可能です。今は、そういうプロセスをことばの変化の中に追う努力をすることで、スポーツのコーチが映像を分析しながら跳び箱の跳べない子にどういう支援をしたらいいかを探り当てるような試みができるようになればいい、と、これは1つの比喩ですけれど、考えています。

だから、授業中でも、ことばで表現できることは限られているんですけれども、もし可能なら、やはりひとりひとり何を考えているかということを、できるだけことばにして欲しいんですね。

藤原
理解しているプロセスの途中で、ということですか?

三宅
ええ。前回の話の中(Infinite no.11)でも出てきたと思いますが、人は問題を解いた後からどうやってその問題を解いたのかをうまく説明することができない、というようなことがあります。学習の途中で、お互い自分が少しずつわかってきていることをことばにして、確認しながら理解していく。そういう授業が多くなれば、子どもも自分なりに納得しながら理解を進めることができますし、授業をしている側、研究者にとってはその学習者がどのように問題を解いたか、あるいは何をどう理解していったかという過程を解明するための基礎データが取れます。


学びは社会的な構成物である

藤原
これまでのお話しでは、学習者ごとに異なる多様な問題の解き方を後押しして、個人を伸ばす学習が大切だというお考えが伝わってまいりました。

三宅
ええ、個人の学びは、基本的にその人自身が作り出すので、「どこまで伸びるか」は個人次第ですし、学びの達成度も個人に還元されるものです。そういう意味で、学びの主体は個人ですから、基本的には、学びを支援するという場合、支援の対象は個人だと思います。

ただ、このことは、個人を他から切り離して個別に扱えば、個人の中に学びがうまく起きるということではないと思っています。そういう意味で、私たちは、矛盾しているようですけれども「学びというものは、社会的な構成物である」という言い方をします。人とのやり取りの中で、個人というのは変わっていく。個人が成長したり、変革したりしていくチャンスは他人との社会的なやり取りの中にむしろ多い、と考えています。

やりたいことを決めたり、それに時間をかけることを決めたりするのは、本人の裁量ですから、何かを学ぶのは個人の仕業です。一方で、個人が自分でゴールを定めて、その達成を自己評価するだけだと、その先がないでしょう。「この人のやり方もできたかもしれない」、「もう少し違うゴールを置いている人がいる」、「同じ物差しでも自分より先まで行っている人がいる」、「そもそも物差しが違う人がいる」、「その路線だと今の自分の到達点よりもう少し先までいくかもしれない」。こういうことを、比較対照して考えるチャンスがない環境では、人は伸び難いでしょうから。

藤原
1人で試みても、能力開発には限界がきてしまうということですね。
この、2人で話し合って調整するというのは、リフレクションに関係するのでしょうか。私はこの対談が決まってから先生の著書「インターネットの子どもたち」を拝読したのですが、その中でリフレクションについて書かれていますね。自分のやったことをただ振り返るのではなく、「このやり方なら、こういう結果になっただろうか」と自分の体験を追体験する。それによって、自分の学びの幅を変えるということだと思うのですが、それは、やはり複数の人との相互作用の中で、強化されるということですか?

三宅
そうですね、少なくとも他の人と一緒の方がリフレクションしやすい、ということだと思います。
ですから、先ほどお話した、学習の途中で2人が話し合うという行為は、学んでいる最中のデータを採取できると共に、学び方としても効果的です。
1人が話せば、聞き手が話し手の発言に疑問を持って、それが話し手の考えるチャンスにつながるかもしれません。聞き手は話し手の言うことを理解しようとして自分の考えを広げるチャンスをつかむこともあります。こうやって相互にそれぞれ自分の理解を深めてくれれば、これは教える側にとって非常にうまい話です。


Hidden storyを探して自分で紡ぎ出す「ジグソー法」

藤原
学習の途中で、他の人と話し合っていく活動というのが、現在学校の先生方に広げていらっしゃる授業法に関連するということでしょうか。

三宅
はい。子どもが何をどう学習しているかというプロセスがわかるようなデータを取得しながら、子どもたちが授業を楽しんで、内容をわかって、次の学びに繋げていける学びを作りませんか、と現場の先生に働きかけています。
今まで指導要領を用いて先生が説明を中心としてやっていらした授業は、「授業をやって一番学んでいるのは教師である」という授業になりかねません。こういう状況を、変えていこうと考えているんです。

そのための授業展開の仕方を、私たちは「知識構成型のジグソー」として提案しています。
これは、授業の中で設定された問いを、学習者同士が力を合わせて解決していくという形を取ります。
授業者は、問いと、その問いを解くために必要な資料を3つか4つ用意して、学生はその資料のいずれかを読むんです。最初は、同じ資料を読んだ者同士が1つのグループを作って、よくわからないところを話し合ったりして、その資料を他の人に説明する準備をします。これを、その資料の専門家になる活動、「エキスパート活動」と呼んでいます。次に、違う資料を読んだ人が一人ずつ集まって新しいグループを作って、互いの資料で書かれていた内容を解説し合い、それらの内容を統合して最初の問いに答えを出します。これを、理解を統合する活動、「ジグソー活動」と呼んでいます。
ジグソー活動に取り組むグループでは、その資料を読んでいるのは自分しかいませんから、何とかその時点での理解をことばにする必要が生じるので、自分がわかっていることを確認しながら納得する作業、少し大げさに言えば、自分で自分の知識を構成するための言語化が引き起こされます。みんなが少しずつわかっていることを統合しようと努力する中で、そのひとつひとつの部品の意味もはっきりしてきますし、問いに対する答えも、各自自分なりに納得できる形で出来上がってきます。グループみんなが同じ答えになる訳ではありませんが、むしろその方が、お互いいろいろな考え方、まとめ方があることがわかって、自分の考えもそれとの対比ではっきりしてきます。最初の問いと、それに答えるために準備した資料がうまくできていれば、こういう過程が起きやすくなります。
ここまできた所で各グループにどんな答えができたか発表してもらうと、当然ですけれど、グループによって説明が違ってきます。クラスでそれを共有できると、その活動を通じて、子どもたちはそれぞれ「自分にとって納得できる説明」を作っていきます。

その大元にある学習理論は、人が元々持っている、社会的に知識を作るプロセスです。
1人で作ったものを他の人に説明しようとすると、相手が納得せずに「なんで?」と聞くので、相手によりよく説明するには自分の説明を見直す必要が生じて、「やってみたらここが抜けていたわ」と気づく。聞き手は聞き手で基本的には相手がどういう前提で今何を話していてその先どこへいこうとしているのか、相手の言うことを広い視野で考えながら相手の説明を自分の理解に結びつけて考えようとしますから、こちらも積極的に学んでいることになります。このように、双方が他人を相手にしながら、自分の知識自体を作り変えていきます。先ほどの、リフレクションのやり取りが効いてくるとも言えそうですね。

人というのは、こんな風に、ある意味他人を「使って」学ぶことができます。私は、こういう学習ができる能力を人は誰でも潜在的に持っている、と考えていて、これを使って学びの質を上げる学習活動のやり方を「協調学習」と呼んでいます。知識構成型のジグソーというのは、当面その1つのやり方として提案しているものです。

藤原
ジグソー法がねらっているのは、端的に言うと、どんなことなのでしょうか?

三宅
簡単に言うと、「覚えたことはその場で使って自分なりに納得しよう」ということです。
学習指導要領に、知識の習得と活用が大事だと書いてあるのですが、現場の先生方とお話してみますと、知識を習得させる授業はできる。先生が「わかりやすく説明」して、何度も練習して、定着を測る。こういうやり方ですと、中学校の理科の教科書に出てくる「消化と吸収」という単元での学習について、「消化吸収に関連するものは何でしょう」と聞いて「アミラーゼ」と書けば正解、ある種の習得は起きた、となってしまいがちですが、これはその習得された知識が活用されたということではないですよね。なので、先生方にとっては、習得させた知識をどこでどう活用させたらいいのかが難しい、という話があります。

ジグソー法では、その場である程度習得した知識をすぐ活用してみるという活動を、1つの授業の中で起こせると考えています。教科書は、覚えなくてはいけないことがたくさん羅列してあるように見えますが、実は書いた人には、そのたくさんのことが全部繋がっていて、1つのストーリーを作っている。ある単元を勉強するということは、そこに書かれているけれども学習する側にとってすぐには了解できないhidden story(まだ語られていない物語)を探すことだ、と言ってもよいと思うのですね。教科書の中に書かれている、最初は断片的に見えることを少しずつわかって、それを統合して1つのストーリーを作り上げる。その活動を、1人でやるのではなく、みんなで分担して相互にリフレクションを掛け合うことで全体として質を高める。何人かがそれぞれ少しずつわかりつつあることを寄せ集めると世の中の謎が1つ解ける、というタイプの活動を授業に持ち込めれば、と思ってやっています。

藤原
世の中の謎、ですか。例えば、身近な事例などありましたら、挙げていただけますか?

三宅
えーと、世の中の謎って、ちょっと大げさでしたね。でも、中学校の教科書の中にも、例えば「太陽の動きが場所によって違うのはなぜか」、「元寇はなぜ起きたのか」、「日本にはなぜ地震が多いのか」といった問いがあります。ちゃんと答えようと思ったら、大人でもかなり大変なことになると思いますけど、こういうことの答えの作り方の入り口を中学校で教えたりするのですね。

「日本にはなぜ地震が多いのか」という例でお話しますと、中学校の教科書から資料を作るのでしたら、まず、地球内部の構造について書いてある資料Aと、それから世界のプレートの配置について書いてある資料Bと、プレートの動きについて書いてある資料Cというのを用意します。授業では、それぞれの資料を分担して読んでから、その3人が集まって話し合います。

まずAを読んだ人は、「地球という球体の中心は高温でどろどろの状態で動いているから、その上に乗っている地殻も動いている。で、その地殻は一枚じゃなくて、分かれていて、それをプレートって呼ぶんだ」というような説明をします。
つぎに、Bを読んだ人が「世界地図で考えると、地球の表面はそのプレート10枚くらいで覆われている。そして、日本のそばには4枚のプレートがある。これが重なり合っているらしい」と説明します。
Cを読んだ人は、「プレートが重なっているところで両方がぶつかり合うと、1枚の下にもう1枚がもぐりこむような形になるよね。そうすると、潜り込まれた方は跳ね上がるので、その力で地殻が動いたり、そのエネルギーが蓄積されて岩盤が変形したりする。これが地震を引き起こす」などと、説明します。

どれも1つでは日本に地震が多いのはなぜかという問いへの答えにはなりませんが、この3つを上手く組み合わせて、1つのストーリーを作ったら、何か答えにならないでしょうか?
これを考えてもらうのがジグソーです。

ある生徒が、「日本のそばにはプレートの境目が多いね」と言ったとします。これを受けて別の生徒が「4枚も重なっている所って、他にはあまりないね」と受けたらどうでしょう?こういうやり取りの中で、ひとりひとりが言えていることは、答えとしては先生が求めるものからみると断片的なものかもしれませんが、この子たちはたぶん、それぞれわかってきていて、それぞれ力点を置きたい所が違うのでしょうね。

どうわかるかは、人によってそれぞれ違うはずですから、ひとりひとりが話を作り上げる過程を保証するようにしたいのです。自分で納得のいくストーリーに言い換えられると、わかった気がするということだと思いますし、そうやって作られたストーリーは、長持ちするようですね。

子どもが「あ、今日はわかった。わかり方は先生が期待している通りではないけれど、自分としては腑に落ちた」、「こういう授業、またやってもいいよ」と感じてくれる授業、「なんだか、あの子は、私とは違うわかり方をしているみたいだから、チャンスがあったら話してみよう」と思えるような授業を目指しています。先生が説明して問題を出し、子どもがいろいろ考えた頃に、「こういうことだよ」と決め打ちみたいに先生の考えを説明してしまうのではなく、自分のためのストーリーを自分で作るところから学習者自身にやってもらおうということです。

藤原
我々の仕事で考えてみましても、お客様がご自身の答えを作り出すプロセスをサポートする、そういうスタイルに変わっていくのではないかと思います。先ほどの話に戻ってしまいますけれど、なかなか、どの答えが正しいとは言いにくいものです。こちらから与えられる答えが存在するとは限りませんし、お客様と一緒に考えるスタンスになるのだろうと思います。

三宅
たぶん、研修としてお話なさることは同じでも、現場にしっかり落とし込むときには、相手方の作りこみというのがどうしても必要になってくる、ということですよね。

藤原
はい。最近、いわゆる正解というのを求められることが増えた気がします。これも、学校教育の影響なのでしょうか。お客様によって要望は様々ですが、「もっともらしくまとめて欲しい」という要望もあると思います。
私たちとしましては、まとめることの利点を追うだけでなく、お客様に沿いながら一緒に問題解決していくことの重要性を土台として共有する努力が必要なのだと思います。


「建設的相互作用」を学びの武器に

藤原
企業人に必要とされる力は、環境によって変わってきています。将来、何が必要になるかは不確実ですが、必要なものが変わる可能性があることはわかっているという状況です。こういう状況で、先生はどういうことが大事だとお考えになりますか?

三宅
どういう風にお答えすればいいのかな・・・。模範解答みたいになってしまうのですけれど、先ほどからお話ししてきた人と話し合うことによって自分の考えを変えていくやり方、専門的には「建設的相互作用」と呼んでいますけれど、これを意識的に使えるようにしておくというのはどうでしょうか。

何か問題があって、いろいろ自分でも考えてみて、ある程度「これが問題の解になりそうだ」と見極めがついてきたときに、その道の専門家や、興味をもって話を丁寧に聞いてくれる人を見つけて、話をしてみるということですね。自分自身の学びの武器、あるいはツールの1つに、人との対話の中で知識を社会的に作っていく建設的相互作用というのがある、と認識しておくのは大事だと思います。

建設的相互作用に限らず、記憶の仕方や学びに関わる人の特性がどんなものかを知っていて、それを意識的に使えると強いのではないかと思います。
例えば、一夜漬けで明日の15時まで覚えておけばいいだけのときの記憶の仕方と、3年後とか、ずっと後になっても思い出す必要があるかもしれないときの覚え方は違うはずです。そういう気持ちで自分はどういう時にどんな覚え方をするといいかを考える習慣をつけておくと、「今わかっているから大丈夫な気がするけど、これはメモしておいた方が安全」なんていう気の配り方もできるようになるかもしれません。

最近聞いた話なのですが、経済評論家の勝間和代さんが推薦する図書50選などというのがあって、彼女はその中で、稲垣佳世子・波多野誼余夫の「人はいかに学ぶか」や、ギロビッチの「人間この信じやすきもの」を挙げていると聞きました。私たちが認知科学の授業で使うような書籍を、こういう方が参照すること自体、おもしろいと思いました。というのも、私のかつてのスローガンは「認知科学の1億 総常識化」だったんです。企業の方にとっても、認知科学の知識というのを持っておくと、物事を考えるときの素地として役立つのではないかと思いますね。

それから、先に、人が普通に持っている学習のモデル自体がそもそも疑似モデルかもしれなくて、単純に適用しようとすると危ないことがある、というお話をしました。そういうことにみんなが気づいている社会のほうが、安全だと思っています。

藤原
自分のストラテジーとして「建設的相互作用」を持っているということは、感覚的にも、確かに役立つという気がいたします。これを意識して戦略的に使うことができれば、より効果的なイノベーションに臨めるのかもしれません。
経営者の次世代のリーダーを育成しようというときも、学習能力というのは非常に重要な能力ではないかなと思います。

三宅
そういった学ぶ力というのを、基本的に人はみんな、持っているものです。

知識構成型のジグソー法の授業をやってみた先生方から、「私のクラスの子どもたちは、こんなに学ぶ力を持っているって気付きました」という見直しが起きているんですね。反対に、生徒の会話を聞いていて「説明したつもりでいたことが、今、こんな会話で確認され直している」と驚かれる先生方もいます。こういう、学びのプロセスそのものの発見が、今、一緒にやっている先生方をジグソー法に引き付けている理由なのではないかと思っています。

藤原
学習する力というのは、リーダーに限らず、全ての人が素養を備えているということですね。もちろん、私たちも「人は学べる」という土台に立って研修を提供しているわけですが、多様性を引き受けて、それぞれの方が学ぶ力を十分に発揮できるような学習機会を提供できるようになるには、まだまだ工夫の余地がありそうです。引き続き、考えて参りたいと思います。本日はお忙しい中、大変興味深いお話をありがとうございました。

今回は、学びのプロセスやジグソー法についての話題をご紹介しました。来年はデザインをリニューアルし、新たに対談を掲載予定です。初回は服部泰宏准教授との対談です。どうかお楽しみにお待ちください。

プロフィール *取材時(2011年8月)の情報を掲載しています。


三宅 なほみ(みやけ なおみ)

東京大学大学院教育学研究科 教授・大学発教育支援コンソーシアム推進機構 副機構長
1982年カリフォルニア大学サンディエゴ校心理学科博士課程修了、Ph.D. 2008年11月より現職。International Society of Cognitive ScienceならびにInternational Society of the Learning Sciences常任運営委員(後者で2007.6〜2008.7会長)。協調的認知活動による理解深化過程を認知科学的に解明し、学習支援に結びつけることを研究テーマにしてきた。人が考えていることの軌跡を残すなど、認知過程を外化して学習者が内省しやすい学習環境を設計し、実践的に評価してその場で起きる学習過程の分析から学習の理論構築を目指すなどの理論的研究を経て、現在20の教育委員会と連携し、全国の小中高等学校67校で102名の先生方と「知識構成型ジグソー法」と呼ぶ枠組みに基づく学習者中心型授業の効果を実践的に実証しようとしている。

 

藤原 浩(ふじはら ひろし)

株式会社 マネジメントサービスセンター 代表取締役社長
1986年京都大学文学部社会学科卒業。アンダーセンコンサルティングを経て、1993年マネジメントサービスセンターに入社。人材開発コンサルタントとして大手金融機関、大手メーカー、医薬品メーカー、外資系企業などをクライアントに持ち、エグゼクティブ及び管理職のアセスメントやコーチングなどを担当。企業のビジネス戦略の実現につながる能力開発・選抜プログラムに携わる。2011年より同社代表取締役社長。企業の成長の鍵を握る人材の特性を見極め、成長を加速させる最適なソリューションを提供することで、クライアントの成果に貢献する人材開発コンサルティング会社を目指している。

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