Cases / Surveys / Reports 事例・調査・レポート

キャリアシフト CAREER SHIFT ―「キャリア権」の意義と今後の方向性<第1回>

講演者:法政大学名誉教授 諏訪康雄先生
(2018年4月2日(月)株式会社マネジメントサービスセンター本社にて開催)

suwa_eyecatch.jpg


 

2016年4月に施行された職業能力開発促進法で、「労働者は、職業生活設計を行い、その職業生活設計に即して自発的な職業能力の開発及び向上に努めるものとする」(第3条の3)とされ、事業主は、「その雇用する労働者の職業生活設計に即した自発的な職業能力の開発及び向上を促進するものとする」(第10条の3)と定められました。既に文部科学省が学校教育におけるキャリア教育を推進している一方で、本条文が努力義務である感は否めないものの、労働者のキャリアの自律とそれに対する支援がキャリア開発関連の法律に明記されたことは、注目に値します。キャリア開発の重要性がここにきて、これほどホットな議論となっている背景には、ベストセラーとなっている『LIFE SHIFT(ライフ・シフト)』(リンダ・グラットン、アンドリュー・スコット著/東洋経済新報社)に端を発していることがありますが、100年人生をどう生きるためにどう学びどう働くか、キャリアの自律的な開発に向けて端緒についたばかりといえます。

そこで、マネジメントサービスセンター(MSC)では、2018年4月2日(月)、かねてより“キャリア権”という概念を提唱し、厚生労働省の「キャリア形成を支援する労働市場政策研究会(2002年)」で座長を務められた法政大学名誉教授の諏訪康雄先生をお迎えし、「キャリアシフト」というテーマでご講演いただきました。

ここでは、講演の主要部分を以下の3回に分けてご紹介します。
第1回 基本的視点――人は、キャリアをどう評価するのか
第2回 「キャリア権」とは――キャリア支援を支える法的基盤と今後の課題
第3回 私たちに求められる「キャリアシフト」

第1回では、まず、基本的視点として、人が自分のキャリアをどう捉えるのかという基本的な考え方と、個人のキャリアが重視されるようになった時代背景を解説していただきます。続く第2回では、「キャリア権」とはどのようなものかについて、法的基盤やキャリア支援の意義を含めて理解を深めます。そして、第3回では、今、多くの企業でキャリアの行き詰まりを感じていると言われている中高年層にスポットを当てつつ、人生100年時代を見据えて、私たちにどのような対応が必要かをご提言いただきます。


 第1回 基本的視点 ―― 人は、キャリアをどう評価するのか

ポイント
●人は、自分や他者のキャリアを経済、社会、個人の3つの指標から総合的に評価する。経済的評価と社会的評価を踏まえたうえで、自分自身の主観で評価(納得)しながら働く
●近年になって、「キャリアは財産」と捉えられるようになった。イノベーションとグローバル化の時代には、個人のセンス、才覚、努力が大きな価値を生み出すため、個人のキャリアの重要性が高まっている

 

あるチンドン屋さんの人生から考えるキャリア評価の視点

今日は「キャリアシフト」というなかなかしゃれた表題をいただきましたので、それに沿ってお話ししていきます。
19世紀ごろまでは、世界的に、圧倒的多数の人は自営業でした。農業、水産業、林業、職人、小さな商店主……皆、自営業です。“家業”というのはそれぞれの家が持つ「法人格」のようなもので、個々人の思いとは別に、家を守る、家業を守るという考え方が長く続きました。

そんな伝統的な職業人生の例として、菊乃屋〆丸(きくのや・しめまる 1917-2010年)さんという方のお話をしたいと思います。本名は大井正明(おおい・まさあき)さん。チンドン屋さんの業界では大変有名な方です。90歳過ぎまで、現役のチンドン屋として活躍されました。
この方は、最初からチンドン屋の仕事が好きだったわけではないそうです。お母さまがチンドン屋で、家にあったチンドン太鼓で遊んでいるうちに、「あんちゃん、うまいね」などと親方におだてられ、アルバイト感覚で始め、やがて本業になりました。途中、工場勤務などほかの仕事に就いたこともあるそうですが、ご自身に合っていたのでしょう、チンドン屋として人生を終えました。

チンドン屋という仕事は、高収入は期待できないし、社会的地位も高くない。でも、ご本人にとっては、奥の深い仕事でした。だから、口上の練習のために講談や落語の高座に通い、宣伝文句をうまく書くために書道の勉強もしました。努力と工夫を重ね、やがては業界の第一人者となり、たくさんの弟子を育てられたそうです。
亡くなられたときは、毎日新聞の死亡記事欄に載りました。メジャーな新聞の死亡記事欄にチンドン屋さんの名前が載ったのは、おそらくこの方が初めてではないでしょうか。

キャリアを評価する3つの指標

キャリアの語源は、ローマ時代の馬車などの通った車道・轍(わだち)。そこから、人の経歴などを指すようになりました。
キャリアの定義にはさまざまなものがありますが、一般的な定義としては、「職業をコア、あるいは、ベースにおいて展開される人生」といえます。
ワーク・ライフ・バランスという言葉は、ワークとライフが別々に存在し、両者のバランスを取ろうとする考え方ですが、キャリアにおいては、ライフキャリアの中に、コアになるものとしてワークキャリアが位置付けられます。家事やボランティアなどの無償労働を含めると、ほとんどの人にワークキャリアがあります。かつては職業上のキャリアだけをキャリアと呼んでいましたが、今では、キャリアデザインというと、人生全体の設計、ライフプランニングと同様のものを指すようになりました。

キャリアを評価するうえで、大きく3つの観点があります。
1つ目は「経済の指標」、お金の問題です。求人広告を見ると、「年収〇〇〇万円」などと示されています。お金は数字で出ますので、その多寡によって客観的評価が可能です。我々は、より報酬の高い仕事に心惹かれます。

しかし、我々は、お金だけのために仕事をするわけではありません。社会的評価、ステイタスも考えます。これが2つ目の指標、「社会の指標」です。例えば裁判官は、社会的評価の高い仕事の代表例です。社会的評価は国によっても違い、社会学者の調査によると、起業家は、日本では低いですが、アメリカでは高い。新聞記者は、日本では高いですが、アメリカではそれほど高くありません。
職業としてのステイタスだけでなく、職場や会社、業界の中で我々が持っている「評判」も、社会的評価です。「この問題だったら、〇〇さんだよね」、あるいは、「またあなたと仕事をしたい」と言われることは、我々が仕事をしていくうえで1つの目標になります。
ただ、評判というのは、お金ほど客観的ではありません。だから、人を採用するときには、面接をして確かめるわけです。とはいえ、客観的とは言えないけれど、最大公約数的に「こんなところだね」と言える相場はあります。これを哲学用語で「間主観(かんしゅかん)」(相互主観。客観的とは言えないが、複数人の間で同意が成り立っている状態。複数人の主観が一致しているので、個人の主観と比べると客観的といえる)といいます。主観と主観の間に成り立っているものという意味です。

そして、忘れてならないのが、「個人の指標」です。自分の価値観や倫理観に合わない仕事は、経済の指標や社会の指標がいくら高くても、やりたいと思いません。
私の知人に、50代で突然、「牧師になりたい」と言い出した人がいます。それまでのポジションを捨て、あらためて大学に通い、修士課程を終えて牧師になりました。牧師という職業は、報酬は高くありません。社会的評価も、日本では欧米ほどには高くはないでしょう。でも、本人は大きなやりがいをもって活動されています。これは「主観」に過ぎません。つまり、本人の納得の問題が基底にあります。

このように、我々は、自らのキャリアについて、経済の指標と社会の指標を踏まえたうえで、そのキャリアを自分の主観で評価(納得)しながら働いているという構造にあります。 

昔の人は、キャリアについて考えることはなかった

日本で大変人気のある経営学者、ピーター・ドラッカーはこんなことを言っています。「大草原で働く農民は、その仕事から充足感を得るつもりはありませんでした。……それはただ生きることであって、人生というものではありませんでした。鉄鋼労働者にしても、その仕事から充足感を得ようとは思っていませんでした。……けれども、知識労働者は充足感を求めます」と(1992年の講演の一節、宮本喜一訳)。かつては、自分は鍛冶屋で、親父も鍛冶屋。爺さんもひい爺さんも鍛冶屋だったと、家業が大切でした――マックス・ウェーバーは、これを「永遠に昨日なる」中世と言いました。かつかつの生活をし、日々、どうやって食べていくかだけを考え、平均寿命も50歳にさえなるかどうか。こういう時代が長らく続きました。

そして、産業革命が起こると、「職務は財産(Job is property)」という主張が生まれます。自分たちの家業は財産であり、機械化によってそれを奪うことは許せないと、「ラッダイト運動」(1811~1817年ごろ、イギリス中・北部の織物工業地帯で起きた機械破壊運動)と呼ばれる打ちこわし運動が起きました。しかし、世の中の針を逆に回すことはできませんでした。
余談ですが、「サボタージュ」という言葉の起源はご存知ですか。「サボ」は木靴のこと。職工たちが履いていた木靴を機械に放り投げて止めてしまうところから来ています。本来の意味でいうと、授業をさぼるとは、授業を壊すことなのです。

20世紀は、アメリカの社会学者ホワイトによると、「組織の時代」です。大きな組織が生まれ、そこに属していることが社会的ステイタスになりました。「雇用は財産(Employment is property)」という考え方です。こうして、解雇が厳しく制限されるようにもなります。これが1980年代ごろまで続きます。

そして、世紀末の大波乱が起きます。かつて恐竜が滅び、小さな哺乳類が繁栄したように、大きな会社は消えていき、つい昨日出てきたようなアントレプレナーが発展して、既存の業界を大きく塗り替えてきました。今、世界を動かしているのは、グーグルやフェイスブックなど多くが1990年代や2000年代以降に出てきた企業です。
こうしたイノベーションとグローバル化の時代には、個々人の役割の重要性が非常に高まってきます。「War for Talent」と言われるように、個人の才能が大きな価値を生み、その争奪戦が起きています。ビル・ゲイツにしてもスティーブ・ジョブズにしても、個人のセンス、才覚、努力によって大富豪になりました。

変化の時代には、個々人のキャリアが重要

個々人の役割が高まると、個々人が築くキャリアが重要になります。ある時期に所属する組織ではなく、仕事と学習の経験が蓄積していくなかで形成されるキャリアに価値がある、「キャリアは財産(Career is property)」という考え方です。もちろん、人によっては、それが不良資産になることもありえます。
1980年代ごろから「キャリアウーマン」「キャリアアップ」といった言葉が出てきましたが、それは、従来以上に、個々人の能力や才能が重視される時代になってきていたからです。女性は、とりわけキャリアについて鋭敏です。会社や社会が新しい時代のキャリアモデルを考えてくれないので、自分で考えなければならなかったためです。

「キャリアは財産」という方向で世の中が動いていくならば、それに沿ってインフラを整えていく必要があります。こう考えれば、文部科学省がキャリア教育に力を入れているのも、キャリアが大事だと認識されてきたからです。
どんな組織も、永遠に続くわけではありません。一部上場企業でも、平均寿命は30、40年程度。小さな会社を含めると十数年です。もし20歳くらいから70歳くらいまで働くとすると、2~3度の転職は、統計的に当たり前になっています。いい大学を出ていい会社に入り、そこで職業人生を完結させることを目指す単純な図式から変わってきたといえるでしょう。
今の時代には、江戸時代に普通だった駕籠かきも馬子もいません。どのオフィスでも活躍していた和文タイピストや電話交換手もいなくなりました。一方で、eスポーツのプロゲーマーやユーチューバー、AI業務のエンジニアなど新しい職業が次々と誕生しています。時代が急速にシフトすればするほど、特定のジョブにしがみつくことは難しくなっていきます。

 

この続きはこちらから
第2回 「キャリア権」とは>>>
第3回 私たちに求められる「キャリアシフト」>>>


法政大学名誉教授
諏訪 康雄(すわ・やすお)
1947年東京生まれ。 1970年一橋大学法学部卒業後、伊ボローニャ大学、東京大学大学院博士課程などを経て、1986年法政大学社会学部教授。その後、厚生労働省・労働政策審議会会長、中央労働委員会会長などを歴任し、現在、法政大学名誉教授。 著書に『雇用政策とキャリア権』『雇用と法』『労使コミュニケーションと法』『労使紛争の処理』(以上、単著)、『法律学小辞典』、Il diritto dei disoccupati(以上、共編著)、『判例に学ぶ雇用関係の法理』『外資系企業の人事管理』『概説オーストラリア史』(以上、共著)ほか。